私は、語りかける声の主を見ようと振り向いた。(黙示録1・12)

  • 苦しみや悲しみを通して

    同様に、神が主を恐れて罪と悪魔の束縛から解放された後でも、イエスにおける贖いと主の恵みによって義としてくださった後も、多くの人々がすぐに神の民に残された安息に入ったわけではありません。

    ・・・

    彼らはさまざまな試みに遭い、苦しめられ、遠吠えの聞こえる砂漠に取り残されたのです。

    ・・・

    それは信仰がなくなった状態であり、・・・愛の喪失、・・・聖霊における喜びの喪失・・・心の平安はなくなります。平安がなくなったことにより罪に打ち勝つ力を失うことになります。

    ヨハネによる福音書16章22節
    2013年10月26日(土)

    『心を新たに』~ウェスレーによる一日一生~
    (編)A.ルシー、(訳)坂本誠
    319頁

    信仰を持った後に、信仰がなくなる時がある、とウェズリーは語ります。エジプトを出発したけれども約束の地に入るまでに荒野をさまよったイスラエルの民のように、と。

    この荒野をさまようときの状態は、信仰がなくなり、愛がなくなり、喜びがなくなり、平安がなくなっています。

    これは私たちが犯した罪に対する報いなのでしょうか。確かにまいた種を刈り取るように私たちが犯した罪によって引き起こされることがあるでしょう。

    しかしそれだけではありません。神さまは神の民が真の神の民となるために、懲らしめられるお方です。苦しみや悲しみを通して、確かに一時的に愛、喜び、平安を失うかに見えますが、より深い愛、喜び、平安をいただくのです。

    苦しみや悲しみを通してでなければ知ることのなかった愛、喜び、平安を知るのです。