「唯人を愛せんと欲する者は善く人を愛する能はず。必ずや先ず虚然として神に於て謙に下り、夫れ而る後、善く人を愛するを得べし。」
新井奥邃、『聖言』、20
「人だけを愛そうとする者は、結局善く人を愛することができない。必ず、まず心を空っぽにして神さまの前に謙遜にひざまずき、そうしてのちに、善く人を愛することができるようになる。」
イエスさまは隣人を愛しなさいといわれましたが、神さま抜きで隣人を愛そうとしても愛せません。たとえ愛したといっても、それは真の愛ではありません。
人間はどこまでも罪人なので、人間の持っている愛は、どこか欠けがあり、結局、我欲が付きまとっていて、隣人への愛といっても、結局は自己愛の延長線上であったりします。そのような愛で愛したといっても、相手を生かす真実の愛を傾けることにはならないのです。極端には共依存状態に陥ってしまいます。
神さまの前に謙遜になって、神さまから愛をいただいて、その神さまの愛で隣人を愛しましょう。そうしてこそ隣人を真に生かす愛を傾けることができるのです。
〔聖書の個所〕
律法学者がひとり来て、その議論を聞いていたが、イエスがみごとに答えられたのを知って、イエスに尋ねた。「すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか。」イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。」
(マルコ12章28~31節)
04:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
04:11 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。
(第1ヨハネ4章10~11節)