「人は謙道を踏まずして高きに登る事、永久に能くすべからず。斯の道や夫れ唯謙なり。」
新井奥邃、『聖言』、21
「人は謙遜の道を踏まないでは高きに登る事は、永久に不可能である。このみち(人の人たる道)は、謙遜によってのみ形づくられる。あるいは謙遜そのものである。」
「恵みの高き嶺、日々わが目当てに~」(新聖歌339番)と歌う賛美歌は、その恵みの高き嶺は「光と聖きと平和に満ちたる」ところであると続きます。このような「高き」に至るには「謙遜の道」を踏みしめながら進まなければなりません。
おおよそ人間の道は、すべて謙遜に裏打ちさていなければ、真実に高きに至ることはないでしょう。
〔聖書の個所〕
キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
(ピリピ2章8~9節)
同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。
(第1ペテロ5章5~6節)