「凡て根本に真主無き者は、如何に自ら惑はらんと欲すと雖も得べからざるなり。夫れ人は真主有れば能く宇宙に立つ。一日主なければ四界莫々無辺に迷ふ。」
新井奥邃、『聖言』、29
「すべて根本にまことの主を持っていない者は、いかに自分自身惑うまいとするとしても、得ることはできない。人はまことの主をもってはじめてこの世界の中に確かに立つことができる。ひとときでも主を見失うならば、この世界の中にあって際限なく迷ってしまう。」
「主」とは武士にとっては「主人(あるじ)」のことかもしれませんが、作者の背景を考えると主イエス・キリストを指し示していると理解するのが順当でしょう。また神といわず主という所に、主イエス・キリストの十字架と復活を予感させます。
いずれにせよ人間は弱い者です。いくら優れているといっても、さまざまな限界を持っていますし、それこそいつかは死ぬ者です。確かな人格神を主として生きる生き方こそ確かな生き方です。神さまを信じない生き方は、まるで空中に浮いているような生き方であって、何かがあれば吹き飛ばされ、なびき、漂うような心もとない生き方です。
〔聖書の個所〕
主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。
(箴言1章7節)
人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である。
(箴言16章9節)
イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。
(へブル13章8節)