「主を見る者は神を見る者。主を信ずる者は神を信ずる者。主に由らずして神に達する者有らじ。主は道なり。生命なり。主の外に道なく、主の外に生命なし。主は神と一にして即ち神なり。人之を知るを覚と謂う。覚は永生に入る。」
新井奥邃、『聖言』、30
「主イエスを見る者は、神を見る者である。主イエスを信じる者は神を信じる者である。主イエスによらないで、神に達するものはいない。主イエスは道である。いのちである。主の外に道はなく、主の外に命はない。主は神と等しく、すなわち神そのものである。人がこれを知ることを「さとり」という。さとりとは永遠のいのちに入ることである。」
神とは目に見えないものですが、その目に見えない神が見える「かたち」になられたのが、イエス・キリストです。おおよそ神を知ろう、神を見よう、神を信じようとするならば、イエスを知り、イエスを見、イエスを信じることによって、到達することができます。主イエスのほかに道はありません。イエスのほかに永遠のいのちはありません。
悟りとは、自分自身が神のようになるのではなく、神ご自身の現れであり、神ご自身であるイエスの後を歩むことです。
〔聖書の個所〕
イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。
(ヨハネ14章6節)
イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「この方はまことに神の子であった。」と言った。
(マルコ15章39節)