「人若し人を侮らば、是れ即ち自ら侮るなり。直に天人の道に背く。過てば速に之を改めよ。若し小過を改むるを恥ずれば、増長して大過に至る。」
新井奥邃、『聖言』、36
「人が若し他人をさげすみ馬鹿にするならば、それは同時に自分自身をさげすみ馬鹿にすることとなる。ただちに神さまが期待しておられる人の道に背くことととなる。間違いに気づいたならば、すぐにこれを改めなさい。もし小さい過ちであったとしても改めることを恥ずかしいと思ってなおざりにするならば、次第にはなはだしく大きくなって大きな過ちになってしまうであろう。」
罪といってもいろいろありますが、他人を馬鹿にしたり、低く見たりする罪は、根深いものです。どうして他人を低く見たり馬鹿にしなければならないかというと、それだけ自分に自信がないからではないでしょうか。自分の中に健やかな自信があれば、他人を馬鹿にすることから自由にされるでしょう。他人を馬鹿にしないではいられない人は、結局は自分の事を貴い存在であると捉えることができていないのですから、「私は自分の事を馬鹿にしています」と、世間に表明しているようなものです。
自分の心を静かに振り返って、もし誰かを馬鹿にしないではいられないこのような心を発見したならば、神さまの前に悔い改めましょう。そうして改めましょう。
〔聖書の個所〕
まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、はいれません。
(マタイ18章3節)
小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。
(ルカ16章10節)
それなのに、なぜ、あなたは自分の兄弟をさばくのですか。また、自分の兄弟を侮るのですか。私たちはみな、神のさばきの座に立つようになるのです。
(ローマ14章10節)