「若し夫れ嫉妬の性に至りては天下に薬石なし。誠に能く己を捧げて、神軍の為に苦闘を甘んずるに非ざるよりは、審判以前為すべからざるなり。」
新井奥邃、『聖言』、44
「嫉妬心におよんでは、この世界のどこにも効果のある薬や治療法はない。心から自分自身を捧げて、神さまのために苦しみの戦いを甘んじて受けること以外には、最後の審判より前になすべきではないのである。」
嫉妬心を持っていない人はいないと思います。人が自分よりも優れていたり幸せであったりするのが我慢できないのです。これに打ち勝つ力は人間にはないのかもしれません。
ただ最後の審判があることを信じ、それまでの時を神さまのために生きること。自分自身を捧げること。苦しみに耐えること、忍耐すること。それしか人間にはできないのかもしれません。
今日という日を、神さまから与えられた日として、どのような中にあったとしても、喜びと感謝をもって生きることです。
〔聖書の個所〕
愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
(第1コリント13章4節)
こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
(へブル12章1節)