カテゴリー: 新井奥邃

  • 「ああ兄弟よ、一瞬間と雖も必ず神の大父母に在すことを忘るる勿れ。」

    「ああ兄弟よ、一瞬間と雖も必ず神の大父母に在すことを忘るる勿れ。」

    新井奥邃、『聖言』、51

    「ああキリストにある兄弟姉妹たちよ。一瞬の間であっても、神さまが大いなる父であり母であることを忘れてはならない。」

     私たちには、肉親としての父と母がいます。しかしこの天地万物を創造された神さま。罪人である人間を救うために、御子を十字架にかけるほどに愛していてくださる神さま。死と滅びの中にしか生きることのできなかった人間に、尽きることのないいのちへの道を開いてくださった神さまがおられることを忘れてはなりません。
     この神さまは義の神さまであり、同時に愛の神さまです。それは父なる神さまであると同時に、母なる神さまでもあります。父のように力強く義の道に導いてくださる神さまであると同時に、母のように優しく包み込んでくださる神さまでもあります。
     その神さまが、どのような事態の中にあってもともにいて、父なる神としての義、母なる神としての愛を注いでくださるのです。

    〔聖書の個所〕

    ちょうどこのとき、イエスは、聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現わしてくださいました。そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。それで、子がだれであるかは、父のほかには知る者がありません。また父がだれであるかは、子と、子が父を知らせようと心に定めた人たちのほかは、だれも知る者がありません。」
    (ルカ10章21~22節)

    そして、あなたがたは子であるゆえに、神は「アバ、父。」と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。
    (ガラテヤ4章6節)

    しかし、上にあるエルサレムは自由であり、私たちの母です。
    (ガラテヤ4章26節)

    それどころか、あなたがたの間で、母がその子どもたちを養い育てるように、優しくふるまいました。
    (第1テサロニケ2章7節)