カテゴリー: 新井奥邃

  • 「如何に罪悪に陥る者と雖も之に対して罪悪自体と其人とを混同視すべからず、其人は亦皆吾が兄弟にあらざるはなし。」

    「如何に罪悪に陥る者と雖も之に対して罪悪自体と其人とを混同視すべからず、其人は亦皆吾が兄弟にあらざるはなし。」

    新井奥邃、『聖言』、56

    「どのような罪悪に陥っている者であったとしても、その罪悪自体とその人とを混同して見てはいけない。その人もまた私の兄弟でないわけではない。」

     どんなに深い罪悪を犯した人であっても、その罪悪とその人とを混同して見てはいけません。なぜ混同してはいけないのかと言えば、そのような人も自分の兄弟姉妹であるからです。
     罪を犯すまでには、さまざまないきさつや事情があるものです。それらを考えていくことも大切なことです。罪を憎んで人を憎まず、ということです。
     「赦す」ことです。決して「許す」つまり「許可をする」ことではありません。なかなか難しいことですが、再び罪を犯すことのないような励ましができればと思います。

    〔聖書の個所〕

    そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。
    (マタイ18章22節)

    互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。
    (コロサイ3章13節)