カテゴリー: 新井奥邃

  • 「後生畏るべし、先生亦畏るべし。或は十年二十年の我に先後する者、今日に於て長幼の目すべきあるも、之を千萬歳の長年月に計れば如何。人の成長は必しも歳月に在らず、後生畏るべきなり。」

    「後生畏るべし、先生亦畏るべし。或は十年二十年の我に先後する者、今日に於て長幼の目すべきあるも、之を千萬歳の長年月に計れば如何。人の成長は必しも歳月に在らず、後生畏るべきなり。」

    新井奥邃、『聖言』、58

    「後から生れて来た人は、畏れることを大切にしよう。先に生れた人もまた畏れることを大切にしよう。ある人は、10年、20年と私と年の前後し離れていて、現在においては優れているところや、逆に劣っていると見えるところもあるだろう。しかしこれを永遠のいのちの長い年月に比べるならば大きなことではない。人の成長は、必ずしも歳月にあるのではない。後にも先にもこの地上に在る限り、あるいは後の世においてさえも、ただ畏れることを大切に生きるべきである。」

     「畏れ」ということばは、いたずらな恐怖ではなく、信頼にもとずく畏敬の念を持つということであり、大切にするということです。神さまに対して、そして隣人に対して、正しい畏れを持つということです。
     「後世」(こうせい、ごしょう)、「先生」をどう理解するかが難しくて適当にしてしまいましたが、お互いの能力の違いは、いかに大きく見えても、長い人生の時間、あるいは永遠のいのちを考えた時間からするならば、そんなに大きなことではない、ということでしょうか。とにかく、神さまへのおそれを大切に、互いに相手を大切に歩みましょう。

    〔聖書の個所〕

    主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。
    (箴言1章7節)

    このように、あとの者が先になり、先の者があとになるものです。」
    (マタイ20章16節)