カテゴリー: 新井奥邃

  • 「少年は生命に富む、夫れ生命は美なり。少年は之に富む。美なる生命、人誰か之を愛せざらんや。之を愛して之を養ふは即ち道に従ふなり。之を学ぶを道を学ぶと謂ふ。之を輔くる者は友なり。」

    「少年は生命に富む、夫れ生命は美なり。少年は之に富む。美なる生命、人誰か之を愛せざらんや。之を愛して之を養ふは即ち道に従ふなり。之を学ぶを道を学ぶと謂ふ。之を輔くる者は友なり。」

    新井奥邃、『聖言』、60

    「年若い人たちは、生命に富んでいる。生命は美である。若者たちはこれに豊かである。美である生命、これを愛さないという者が誰かいるだろうか。これを愛し、これを養っていくことは、とりもなおさず道に従うことである。これを学ぶことを道を学ぶという。これを助ける者は友である。」

     みないのちを神さまからいただいています。いのちはそれ自体輝きを持っていて美しいものです。これを愛し育てていくことは、人間として道理にかなっていることです。あるいは人の生きる道、キリスト教信仰の道に生きることです。人の中にある神さまが与えられたいのちを、いかに発見し、いかに養い育てるのか。それが人の生きる道であり、キリスト教信仰の道に生きることです。また隣人を愛するということでしょう。
     青年時代に、いのちの輝きを養い育てるために「友」の存在は欠かせません。そんな友は、人生の財産です。

    〔聖書の個所〕

    その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。
    (創世記2章7節)

    神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。
    (使徒17章25節b)

    ダビデがサウルと語り終えたとき、ヨナタンの心はダビデの心に結びついた。ヨナタンは、自分と同じほどにダビデを愛した。
    (第1サムエル18章1節)