カテゴリー: 新井奥邃

  • 「人若し誠に書に由りて其の道を求めんと欲すれば、蓋しヨハネの霊見書(黙示録)を心読するに如くはなし。此れ亦死者に死して生者に生、信者には信ぜしめ、不信者には益々信ぜらしむるもの、今の時の当りて一般に通ぜざるは固よりなり。但し此界の言語文章、遠近古今の相違あるも、霊の体たるや、永久不変、苟も其の含蔵を得れば、則ち吾人必ず時と偕に信に立って徳に進まむ。生命の道は皆夫れ此の如し。」

    「人若し誠に書に由りて其の道を求めんと欲すれば、蓋しヨハネの霊見書(黙示録)を心読するに如くはなし。此れ亦死者に死して生者に生、信者には信ぜしめ、不信者には益々信ぜらしむるもの、今の時の当りて一般に通ぜざるは固よりなり。但し此界の言語文章、遠近古今の相違あるも、霊の体たるや、永久不変、苟も其の含蔵を得れば、則ち吾人必ず時と偕に信に立って徳に進まむ。生命の道は皆夫れ此の如し。」

    新井奥邃、『聖言』、74

    「人がもし真実に書物によってキリストの道を求めようと望むならば、まさしくヨハネの黙示録を心から読むことに及ぶものはない。これまた死者にとっては死、生者にとっては生、信じる者には信仰を深め、信じない者にはますます信じることができなくさせるものである。今の時代においては、一般に通じないことは言うまでもない。ただしこの世界の言葉、文章、過去、近代、今、昔の違いがあるも、霊的な体は、永久に変わることがない。もしその含まれているものを得ることができれば、私たちは必ず時と共に信仰に立って、徳の道に進むことができるであろう。いのちの道はみなそれこれのようである。」

     ヨハネの黙示録は、新約聖書の最期に置かれている書物です。使徒ヨハネが迫害の時代にあってパトモスという島に幽閉されているときに書いたものであるといわれます。迫害の時代なので、迫害者の追及を避けるため比喩や暗示のようなものがいろいろと含まれています。そのまま読もうとすると、意味が分からないか、間違った読み方をすることになるでしょう。当時の時代背景、文化を学びつつ読むことが必要です。
     しかしそこに記された真理は、永遠に変わることはありません。どんなに困難な中にあっても、希望を抱いて生きる道が力強く記されています。キリストへの信仰をもって読むならば、その読む者に限りない生きる力を与えるでしょう。キリスト者とは、どのような中にあっても忍耐と希望をもって生きる人たちのことです。

    〔聖書の個所〕

    私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。
    (第2コリント4章8~10節)

    イエス・キリストの黙示。これは、すぐに起こるはずの事をそのしもべたちに示すため、神がキリストにお与えになったものである。そしてキリストは、その御使いを遣わして、これをしもべヨハネにお告げになった。・・・私ヨハネは、あなたがたの兄弟であり、あなたがたとともにイエスにある苦難と御国と忍耐とにあずかっている者であって、神のことばとイエスのあかしとのゆえに、パトモスという島にいた。私は、主の日に御霊に感じ、私のうしろにラッパの音のような大きな声を聞いた。
    (黙示録1章1~10節)

    私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。
    (黙示録22章18~19節)