カテゴリー: 新井奥邃

  • 「夫れ聖書は何ぞや。所謂聖書は、何の為に存するや、是れ手帳也。万人の手帳の為にして保存せらる。特に仕事師の必携簿となる。実行者に取りては天下の書之れに如く者無し。其の法たる萬事に応じて尽すべからざるなり。」

    「夫れ聖書は何ぞや。所謂聖書は、何の為に存するや、是れ手帳也。万人の手帳の為にして保存せらる。特に仕事師の必携簿となる。実行者に取りては天下の書之れに如く者無し。其の法たる萬事に応じて尽すべからざるなり。」

    新井奥邃、『聖言』、73

    「聖書とはどういったものであるだろうか。いわゆる聖書は何のために存在しているのだろうか。聖書は人生に必要で大切なことが記されていて常に携帯すべき手帳のようなものである。すべての人が手帳のように携行し、これに教え導かれるために存在しているのである。特にこの社会において働き仕えている人びとのなくてはならないものである。実際に行う者が手に取るならば、この世界にある書物も、これに匹敵する(ように思う)者は存在しない。その規範であるあらゆることに応じて果たそうとしてはならない(その時々の規範に従って事を行おうとするのであってはならない)。」

     すみません。ちょっと最後のほうの文章が理解できていませんので想像をまじえています。
     聖書は神さまの言葉です。人間が生きていく上での指針です。電化製品についている説明書のように、人生の説明書のようなものです。私たちは説明書もなしにいきなり人生を始めることになりました。それは泳げない人をいきなり大海原に突き落とすようなものです。ですから神さまは私たちに与えてくださったのです。
     聖書は読み始めるとすぐに気づきますが、いわゆる道徳訓のようなものが書かれているわけではありません。もちろん箴言のようなところは道徳訓と言えば道徳訓でしょう。しかし聖書の内容のほとんどは、信仰に生きた人びとの告白や祈り、また歴史です。新約聖書では手紙であったりもします。それらを読んで、人生のさまざまな場面に当てはめることがいきなりできるわけではないかもしれません。しかし少しずつでもよいので読んでいきましょう。きっと人生の「手帳」のように豊かな人生に導いてくれるでしょう。
     人間の作り出した規範は、時と場合によって変化します。たとえば戦争中は人殺しは推薦されたことでした。しかし戦争が終わった途端、人殺しは悪となりました。人に迷惑をかけてはいけないと育てられた援助交際の少女は、誰にも迷惑をかけていはいないとうそぶきます。時と場合に左右されない規範がないと、何が悪で何が善であるのか分からなくなってしまいます。永遠に変わることのない規範を持つことが、この移り行く人生の中で、悪に流されることなく生きる秘訣です。聖書はいつまでも変わることのない神さまの言葉であり、規範です。

    〔聖書の個所〕

    初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
    (ヨハネ1章1節)

    聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。
    (第2テモテ3章16~17節)