「夫れ心の清き者は神を見るべし。慾在れば之れに反す。然らば則ち慾は去らざるべからず。而して此れ甚だ去り難し。乃ち人生死活の問題となる。是に於て平神戦あり、激戦苦戦実に決死を要するものなり。死して後栄え、斃れて後興る。」
新井奥邃、『聖言』、76
「心のきよい人は神さまを見ることができる。欲望があればこれに反して見ることができない。そうであれば即座に欲望は取り去らなければならない。しかしこれは大変取り去ることの難しいものである。言いかえれば、人生の生きるか死ぬかの問題となる。これにおいてはひたすら神の戦いであり、激戦、苦戦、実に死を覚悟して事を行うことが必要とされる。死んだ後に栄光があり、倒れた後に復興がある。」
欲望は私たちの心の目をくもらせて、神さまを見ることができないようにさせる。神さまの支配、神さまのみ心、を見えなくさせるのです。欲望を取り除き、あるいは欲望から解放されるならば、神さまの支配、神さまのみ心、神さまご自身が見えてくるのです。
神さまを見るための戦いは、この欲望を取り除くことの戦いです。これは激しい戦いです。しかしこれによって、自分自身が死ぬこと、倒れること、そうして自分の肉の欲望が殺されることは、とても大切なことです。自分に死んだのちには、必ず栄光の道が開かれるのです。
〔聖書の個所〕
私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。私の皮が、このようにはぎとられて後、私は、私の肉から神を見る。
(ヨブ記19章25~26節)
心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。
(マタイ5章8節)
(「心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。」(新改訳第3版・マタイ5章8節)