「謙は真面目なり、故に真面目ならざる者は、謙に非ず
謙は純粋なり、故に雑駁なる者は、謙に非ず
謙は確信なり、故に信乏しきは謙に非ず
謙は偏党なし、故に偏する者は謙にあらず
謙は大公なり、故に私心有るは謙に非ず
謙は分を守る、故に分を守らざる者は、謙に非ず
謙は人を敬す、故に不敬を悟らざる者は、謙に非ず
謙は慈愛に富む、故に民を慈愛せざる者は、謙に非ず
謙は一切を献ぐ、故に一切を献げて事へまつらざるは、謙に非ず
謙は全体を以て神を愛す、故に己を尽して神を愛せざるは、謙に非ず
謙は生命なり、故に謙ならざれば生命を得ず、暗黒に沈淪す」新井奥邃、『聖言』、86
「謙遜とは真面目なことである。よって真面目でない者は謙遜ではない。
謙遜とは純粋なことである。よって雑然としていてまとまりがない者は謙遜ではない。
謙遜とは確信である。よって信仰の乏しい者は謙遜ではない。
謙遜は偏った党派を持たない。よって偏った意見を持つ者は謙遜ではない。
謙は偏りなく大きく社会や世間を見ている。よって自己中心の者は謙遜ではない。
謙遜は自分の力の範囲や為すべきことの範囲を心得て保持している。分を守らない者は、謙遜ではない。
謙遜は人を尊敬する。よって人に対して自分が敬意を失していることを理解しない者は、謙遜ではない。
謙遜は慈しみと愛に富んでいる。よって人びとを慈しまない者、愛さない者は、謙遜ではない。
謙遜はすべてのものを神さまにささげて生きる。よってすべてのものをささげてお仕えしないのは、謙遜ではない。
謙遜は身体の全部をもって神さまを愛する。よって自分自身を尽して神さまを愛しないのは、謙遜ではない。
謙遜はいのちである。よって謙遜でないならばいのちを得ることができない。ただ暗やみの中に沈んで滅んでいく。」
謙遜は中身の深いものですね。真面目、純粋、確信、党派心を持たない、自己中心でない、分を守る、人への敬意、慈しみと愛、献身、神への愛、いのち・・・。
謙遜しているかに見えても自分の分を超えたり、自分の分以下であるならば真の謙遜とは言えません。いかに謙遜に見えても、不真面目で、不純で、信頼感がなく、偏った見方をし、自己中心で、分を超え、人を尊敬しない、慈愛がない、献身がない、神さまへの愛がないならば、謙遜ではありません。傲慢、高慢なのです。そこにはいのちはありません。いのちの輝きはありません。
いのち輝く者でありたいと思います。謙遜を学びましょう。
〔聖書の個所〕
神は、ひとりひとりに、その人の行ないに従って報いをお与えになります。忍耐をもって善を行ない、栄光と誉れと不滅のものとを求める者には、永遠のいのちを与え、党派心を持ち、真理に従わないで不義に従う者には、怒りと憤りを下されるのです。
(ローマ2章6~8節)
肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。
(ガラテヤ5章19~23節)