カテゴリー: 新井奥邃

  • 「義に殉ずるを学ぶべし。学んで十字架の生活を為すべし。能く十字架の生命に従へば、美門求めずして自ら開けん。」

    「義に殉ずるを学ぶべし。学んで十字架の生活を為すべし。能く十字架の生命に従へば、美門求めずして自ら開けん。」

    新井奥邃、『聖言』、88

    「義のために自分のいのちをささげることを学ばなければならない。学んで十字架を負う生活を為さなければならない。十分に十字架のいのちに従うならば、よい方向への扉は、求めなくても自ら開くであろう。」

     「義に殉ずる」の義とは、神さまとの関係の正しさを現わしているのでしょうか。その義の為にいのちを、生涯をささげることを学ぶこと。学んで十字架を負い、十字架の道を歩むこと。そうすれば、良い方向へは、ひとりでに導かれていくでしょう。扉はひとりでにひらかれるのです。
     私たちの行動には三つの理由を持ちます。一つは「行いたいという欲求によって行う」ということです。食べたいから食べる、歩きたいから歩く、といったことです。二つ目は「行いたくはないけれども、そうすることが得だから行う」ということです。食べたくはないけれども身体によいから食べる、働きたくはないけれども、働かなければ生きていけないので働く、ということです。そして三つめは、そうする欲求もないし、そうすることが得なのでもないけれども、そうすることが「使命」だから行う、ということです。最初の二つはすべての人の行動の中にあると思いますが、三つめはそうではありません。神さまからの使命をいただいた者だけが行うことのできる行動です。
     神さまのみ心を第一に求めていくこと、十字架の道を選択すること、そうであるならば、人生の扉は常に開かれていきます。

    〔聖書の個所〕

    だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
    (マタイ6章33節)

    12:02 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。
    (ローマ12章2節)