「凡そ危険を知る者、美より敏なるはなし。而して常に黙す。已むを得ずして微言す。其の微言に響くや、聴かざる者は禍なり。禍の速に成るとは断ぜざるも、其の来るは法なり。免るべからず。」
新井奥邃、『聖言』、89
「おしなべて危険を知っている者は、美しく良いことであるよりも賢いことはない。そうであるから常に黙っている。やむを得ず、わずかばかりの言葉を語る。そのわずかばかりの言葉が響いてくるならば、それを聞こうとしない者はわざわいである。わざわいがすぐに起こるとは言えないかもしれないが、それがやって来るのは定まった法則である。決してそれを避けることはできない。」
「美より敏なるはなし」が分かり切っていません。
物事を知っているということは、その恐ろしさを知っているということです。自動車の運転を知っている人は、自動車の危険性を知ってる人でもあります。原子力の知識やその仕組みを知っていても、原子力の危険性を知らないならば、それは本当に賢いことではありません。知識が豊富なことは、賢いことのようですが、美しさや良さという点では劣ります。
本当に賢い人の言葉数は少ないものです。ですからそのうえで語られる言葉には深い意味があります。それに耳を傾けなければなりません。そうでなければ、さまざまな問題や不幸に襲われることでしょう。
ぺらぺらとしゃべりまくる私のような牧師の言葉ではなく、静かに祈る信徒の言葉に真実がありそうです。反省。
〔聖書の個所〕
ことば数が多いところには、そむきの罪がつきもの。自分のくちびるを制する者は思慮がある。
(箴言10章19節)
また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。
(マタイ6章7~8節)