主が再び来られる日のことである。十字架の死が近づいたとき、主は再臨を語られた。やがて再び来られるとき、愛のともしびをもって迎えられることを求められた。・・・必ず主は来られる。教会は愛を込めて主を待って生きる。再臨信仰を失った教会はいのちを失う。
加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、369頁
2020年12月14日(月)
アドベントは二つのことを待ち望みます。一つはクリスマス、主のご降誕を待ち望みます。すでに二千年前に降誕されたのですが、そのことを記念して、待ち望む季節を過ごします。もう一つは、再臨を待ち望みます。再び来られると、お約束くださった主を待ち望みます。
ただその日がいつかは「子」すなわち主イエスさまも知らないと言われました。ましてや私たち人間はその日がいつであるかを知りません。この知らないということが、再臨信仰において大切なことです。知らないといことが、健やかな待ち望みを私たちのうちに形づくるのです。
「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。」(マタイ24・36)