使徒言行録は第四章に既に使徒たちが、時の権力者に捕らえられ、主イエスと同じ裁判の席に据えられたことを語っている。・・・新共同訳は、信仰の告白を、公の告白として捕らえて見せてくれている(ローマの信徒への手紙第10章9節)。そうとすれば、その信仰を呼び起こす伝道者の言葉も公のものである。だから迫害された。教会は、へこたれず、むしろ、大胆にみ言葉を語れるようにと祈った。大胆に、自由に、公に説教できるようにと祈った。・・・説教もまた政治家の言説と同じパブリック・スピーチであるはずなのである。
加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、350頁
2020年11月27日(金)
伝道者は、自分の語る言葉が公のものであることを自覚して語りなさい、ということなのでしょう。伝道者に限らずキリスト者はみなそうであるはずなのだと思います。
「主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。」(使徒4・29)