二元論を克服する

フォルカー・ヴァイルマンは、ヨブ記は二元論を克服する書物だと言っている。二元論、それは、善と悪の神とふたつを立てる。そうでないと、悪、禍がなぜあるのか説明がつかない。・・・その方が哲学的にも正しいように思われた。しかし、ヨブ記、また聖書は神はただおひとりと告白する。・・・この訴えの究まるところ、ただひとりの神に再び出会うのである。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、244頁

2020年8月17日(月)

二元論というのは、なかなか魅力的なのです。この世界を善と悪の戦いの場として考えます。神は善であって、悪である悪魔との戦いの中に、人間が置かれていて、信仰生活はこの悪魔に打ち勝つ日々である、と。魅力的であり、また分かりやすいのです。しかし聖書はこの二元論を克服します。悪についての「なぜ」も神さまに向かって訴えられ、そうしてそこで神さまにお出会いするのです。

「わたしも口を閉じてはいられない。苦悶のゆえに語り、悩み嘆いて訴えよう。」(ヨブ7・11)