土の器は壊れやすい

土の器は壊れやすい。滅びやすい。土の器としての人間とは、死すべき者という意味である。・・・肉体もこころさえも壊れる。日々その脆さを味わっている。ただ謙遜を装って知っているそぶりをする自分の貧しさなどではない。だがこの自己認識を、何と誇らしく語り得ることであろうか。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、223頁

2020年7月28日(火)

土の器だけれども、イエスさまが内にいてくださるので大丈夫、ということですが、むしろ土の器だからこそ、イエスさまが内にいてくださり大丈夫なんだ、ということでしょう。へんに輝いた器ならば、中にある尊いものの輝きが見えません。

「ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。」(2コリント4・7-10)