使徒パウロは独創を誇るひとではなかった。・・・その驚くべきいのちの言葉は、彼もまた与えられたのである。・・・すべてのキリスト教会を生かす伝統となっている教会の言葉である。ここにのちの教会の信仰告白、それと結びつく教理の原型が掲示されている。・・・パウロもまた、このキリストのことをしか語らない。自分が受けたままに伝える。このような福音の言葉の伝承が、リレーのように授受を重ねて、私たちに至る。今私たちも同じように言う。
加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、184頁
2020年6月21日(日)
「『伝統』という語は、『引き渡す』『伝える』『手渡す』などを意味するラテン語の traditio から来ている」(アリスター E・マクグラス、『総説 キリスト教』、212頁)。
キリスト教会は、教会の伝統の中に聖書を解釈し、その信仰を継承してきました。パウロ自身も、自分が独創した何かを語ろうとしたのではなく、「受けたもの」を語ろうとしました。キリスト教会であるならば、みなこの「受けたもの」を語っているのです。キリスト教会はみな例外なく、ともに受けたものに生かされているのです。
教会はキリストのからだですから、みなこのひとつのからだに繋がっているのです。一本の木に繋がっているのです。だれもこの木から離れては実を結ぶことができません。
「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、」(1コリント15・3)