キリストの恵みによって豊かに潤い、それ故に、自分もまた潤いをもたらす園となる

マザーとその仲間の姉妹たちは毎朝午前四時半にはミサに集まる。礼拝堂を満たして祈りをし、聖体を受ける。そのなかにマザー・テレサの小柄な姿が見える。前に進み司祭から聖体、つまりキリストのみからだを口に受けると、急いで会衆の最後列、壁際に立ち、ゆっくりと噛んでいる。その口元に合掌する手を寄せていた。その姿全体がキリストの聖餐の恵みをひたすら貪るようにも見え、更には、存在全体が祈りに化しているかのようにも見えた。インドの地の人びとだけではなく、世界の人びとに潤いを豊かに与えるマザーとその仲間たちが、なぜそのようにみずみずしい愛のわざに生き得るか、その秘密を見る思いがした。キリストの恵みによって豊かに潤い、それ故に、自分もまた潤いをもたらす園となる。そこでは泉も涸れることがないのである。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、176頁

2020年6月13日(土)

ある説教の中で、ストーブは、まず自分自身が暖まってはじめてまわりを暖める存在となる、というお話しを聞いたことがあります。自らが暖まっていなければまわりを暖めることはできないのです。また自らが潤されていないとまわりを潤すことができないのです。また自らが偽りの暖で暖まったかのように思いこみ、あるいは偽りの泉で潤っていると錯覚しているならば、たちまち自らが枯渇してしまうのです。またそのような暖や潤いでは、周りを破壊してしまうのです。

イエスさまのおいのちによって、暖められ、潤されたいと思います。

「彼らは喜び歌いながらシオンの丘に来て/主の恵みに向かって流れをなして来る。彼らは穀物、酒、オリーブ油/羊、牛を受け/その魂は潤う園のようになり/再び衰えることはない。」(エレミヤ31・12)