ここに来れば、いつでも渇きは癒され、光を見た

入り口に立って嘆声をあげて皆立ち止まった。正面の東の窓から射している朝日が、分厚い石の壁、床に輝いている。あまりの美しさに息を飲んだのである。・・・中世の人びともまた深い悲しみを知り、罪の闇を知っていた。私たちと同じように歓声をあげて明るい夏の朝の光を浴びたであろうし、また、この鮮やかな太陽を見ることもできない厳寒の暗い冬の朝にも、ここに集まったであろう。しかし、ここに来れば、いつでも渇きは癒され、光を見た。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、71頁

2020年3月4日(水)

今日の個所に紹介されている「フランスのル・トローネ修道院の廃虚」は、ウィキペディアでは「ル・トロネ修道院」と表記されています。「南仏プロヴァンス地方、ヴァール県・ル・トロネに設立されたシトー会修道院である。修道院北部の一部は崩壊したものの、現存する建物は1160年から1200年頃にかけて建築されたもので、中世建築の姿を今に残す。」とのことです。

私たちは、太陽などの光源から発せられた光が、被造物に射しこみ、そうしてその光を見ることができるのですが、天と地が創造された最初に創造された光は、神さまご自身が光源となって発せられた光です。私たちはこの神さまの光に、まことに光を見ることがゆるされています。どのような暗闇のなかにもまことに光であるイエスさまがともにいて下さるのです。

「神よ、慈しみはいかに貴いことか。あなたの翼の陰に人の子らは身を寄せ/あなたの家に滴る恵みに潤い/あなたの甘美な流れに渇きを癒す。/命の泉はあなたにあり/あなたの光に、わたしたちは光を見る。」(詩編36・8-10)