神の御子キリストは、人間が神の子となるように、御自身一人の人間となって下さったのです。
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私たちの現状とは次のようなものです。すなわち、ビオスとゾーエーという二種類の生命はただ互いに異なっているばかりでなく(その相違はいまに始まったことではありません)、実際に対立しているのです。私たちおのおののうちにある自然的生命は自己中心的で、もっぱら愛され、賛美されることを願っています。他者の生命を利用し、全宇宙をさえできれば自分のために用いることを欲しています。それはとくに干渉を嫌います。自分よりいもの、強いもの、高次なもの、つまり自分の小ささを感じさせる一切のものからできるだけ遠ざかっていることを願います。それは霊的世界のの空気や光を恐れます――不潔な生活習慣を当然のようにして育った者が入浴を恐れるように。そしてある意味ではそうした態度はうなずけるものです。私たちのうちの自然的生命は、霊的生命がひとたびそれを捕えるなら、自己中心的な性向や気儘さがたちまちのうちに殺されてしまうことを知っています。だからそれを避けるために、死物狂いで抵抗する意図を固めているのです。
『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、472-473頁
2019年12月2日(月)
永遠のいのちとは死後のいのちのことだけを指しているのではなく、今のこの時に生きるいのちをもさしています。自然的生命はビオスと呼んでいます。それにたいしてい神さまにあるいのち、これが永遠のいのちなのですが、これをゾーエーと呼んでいます。このゾーエーをいただくことができるために、キリストは人となってこの地に来てくださいました。そして父なる神さまに十字架にまで従順に歩んでくださいました。このお方によって私たちに永遠のいのちに生きる道がひらかれたのです。イエスさまを信じる、信頼して生きるところに、永遠のいのちに生きる道がひらかれます。
「神の愛によって自分を守り、永遠の命へ導いてくださる、わたしたちの主イエス・キリストの憐れみを待ち望みなさい。」(ユダ21)