聖人たちとともに祈る

聖人たちに祈るということの合理性、合法性についてキリスト教界の意見が分かれているときに、聖人たちとともに祈るという姿勢についてすべての者が一致しているのはありがたいことです。
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このともにという考えを、人は理論的にはつねに受けいれてきました。しかし適切な瞬間に個人がそれを意識し、つまらない饒舌のような自分の祈りを偉大な聖人たちの声に合わせようとするとき、それはそれ以前とまったく異なった意味をおびはじめます。そうした人たちの声が私たちの祈りの醜さを中和し、その一方、私たちの祈りにいささかでも価値があるなら、それを引き立ててくれるかもしれないのですから。

『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、427-428頁

2019年11月1日(金)

聖人たちに対して祈るということを偶像礼拝としてプロテスタント教会は退けてきました。しかし聖人たちとともに祈るということは、プロテスタント教会も含めて全キリスト教会が大切にしてきました。この違いは大切であるとともに、今一度、天に帰った聖徒たちと共に祈るということを私たちは大切にしなければならないと感じています。

聖徒たちとともに祈るということが、私たちの醜い祈りを中和したり、引き立ててくれたりするのだ、とルイスは語ります。

「それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。」(第1テサロニケ4・17)