ついで、まさにショッキングな出来事が起こります。ユダヤ人の間にまったく突然、自分こそ神であるかのような口ぶりで語る人が現れたのです。・・・ユダヤ人の言語では、神は世界の創造者であり、したがって世界の外にある存在であり、他のいかなるものとも限りなく異なっているはずです。このことを理解するなら、この人が言ったことはおよそ人間の口から発せられた最もショッキングな言葉であったということがわかると思います。
『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、408-409頁
2019年10月19日(土)
汎神論的な文化の中から、我こそは神である、という人物が出てきてもそれほど驚くことではないけれども、絶対的な唯一神の文化の中からそのような人物が出てきたことは、最もショッキングな出来事であり、そのように語る人物の言葉は、最もショッキングな言葉であった、といいます。
日本も汎神論的な文化の中にあるといっていいと思います。そのような中に生きる者にとっては、イエスさまがご自身を神とされたことをそうショッキングなこととしてとらえないのかもしれません。しかしそれはキリストを受け入れていることとは全く異質なことでしょう。
人間が神になるなどということは全く想像もできない、そんなことはありえないということが確かにされているところに、神が人間となって来てくださった、それが聖書の語る神さまのみわざなのです。ありえないことが起ったのです。ありえないことだったので、人びとはその人物を十字架の上で殺してしまいました。しかしそれも神さまのご計画であった、と聖書は語ります。
「ヨハネは答えた。『わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない。』」(ヨハネ1・26-27)