喜ばしい創造者

クリスチャンの神は、穀物と油と葡萄酒の神です。喜ばしい創造者です。
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自然の名で呼ばれうる一切のものから尻ごみして消極的な霊性のうちに退くことは、馬術を覚えようとせず馬のまえから逃げだすようなものです。・・・禁欲の背後にはつねに、「地上の富すら委せることができない者に、誰が霊的な富を委すだろうか?」という問いがなくてはなりません。

『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、171-2頁

2019年4月30日(火)

この世にあるすべてのものは、神さまが御するようにと与えてくださったものです。ただ禁じるということではなくて、御するということがそれらの存在の大きな目的ですから「尻ごみして消極的な霊性のうちに退く」ことは神さまのみこころではないのでしょう。
私たち主にある者はこの自然を、楽しみ喜び感謝しなければなりません。自然科学も人文科学もあらゆる人間の取り組みはこの事に召されているのだと思います。

「しかし、“霊”は次のように明確に告げておられます。終わりの時には、惑わす霊と、悪霊どもの教えとに心を奪われ、信仰から脱落する者がいます。このことは、偽りを語る者たちの偽善によって引き起こされるのです。彼らは自分の良心に焼き印を押されており、結婚を禁じたり、ある種の食物を断つことを命じたりします。しかし、この食物は、信仰を持ち、真理を認識した人たちが感謝して食べるようにと、神がお造りになったものです。というのは、神がお造りになったものはすべて良いものであり、感謝して受けるならば、何一つ捨てるものはないからです。神の言葉と祈りとによって聖なるものとされるのです。」(第1テモテ4・1-5)