宇宙飛行士が宇宙空間にその種の神を見出さなかったとしても、不安をいだくことはありません。そうした神が見出されるとしたら、かえって不安が兆すでしょう。
『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、67f頁
2019年2月14日(木)
神さまの存在を人間の科学力で証明しようとすることは、結局のところ人間の頭の中に神さまを閉じ込めようとすることであり、そこで発見する神は人間の頭よりも小さいということを前提としています。私たちが神さまを知ることができるとすれば、その一端を知るということです。自分の頭の中に愛ってしまうような神であれば、そのような神を信頼して生きるなどということはかえって不安を増し加えることとなるでしょう。
いったんしか知ることができないということが、神さまへの信頼と結びつき、私たちに平安を与えるのです。
神さまは、イエスさまにおいて完全にあらわされましたから、私たちは神さまを知りたいと思えば、イエスさまにお出会いする必要があります。
「パリサイ人たちが、神の国はいつ来るのかと尋ねたとき、イエスは彼らに答えられた。『神の国は、目に見える形で来るものではありません。「見よ、ここだ」とか、「あそこだ」とか言えるようなものではありません。見なさい。神の国はあなたがたのただ中にあるのです。』」(ルカ17・20,21)