われらはあなたのものであり、あなたはわれらをあなたの子として支配し、導いてくださるのです。更に遠くにあってあなたを求めるすべての者を守り、すべての善き心を、彼らが時にあなたを理解しないことがあっても、守ってください。彼らを守り、またみ国を来たらせ、み心が多くの人々を通じてますます行なわれるようにしてください。彼らは、あなたを問いたずね、善と真理を問うよりほかのことはできません。
C.ブルームハルト、『夕べの祈り』、加藤常昭 訳、174頁
〔しかし、このことは、/「目が見もせず、耳が聞きもせず、/人の心に思い浮かびもしなかったことを、/神は御自分を愛する者たちに準備された」と書いてあるとおりです。わたしたちには、神が“霊”によってそのことを明らかに示してくださいました。“霊”は一切のことを、神の深みさえも究めます。〕(1コリント2・9,10)
2018年8月1日(水)
「霊」ということばは、広辞苑によると、たましいのことであったり、目に見えない不思議な力のことであったり、尊いことであったりといった説明がなされています。
聖書において「霊」と訳されている「プネウマ」は、岩隈直の新約ギリシャ語辞典によると「風、息吹、息、生命力、霊」と説明があります。神さまの息を与えられた人間は生きる者となったということですから、神さまに向かって生きる、息をする、ところに霊があります。人間には、この霊がみな与えられているということでしょう。しかし神さまを知らずに歩んでいるということは、内なる霊が目覚めていないという感じでしょうか。三位一体の第三位格である聖霊さまは、この霊を目覚めさせてくださり、神さまに向かって生きることが出来るように導いてくださり、神さまのよろこばれる道を選択するようにと励まして下さいます。ときに神さまが見えなくなる時にも、慰めを与えてくださるのです。