主なる神よ、甦り、今生きておられるイエス・キリストにわれらを結びつけてください。そしてわれらの生が、イエス・キリストにおいてみ心としておられることによって、のみつくされてしまいますように。地上でわれらを束縛しようとするすべてのものから解き放ち、常にかしらを高くあげる自由な者としてください。
C.ブルームハルト、『夕べの祈り』、加藤常昭 訳、84頁
〔わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。〕(ローマ14・7,8)
2018年4月10日(火)
自由とは、どのような状況の中にもかしらを高くあげることです。地上で私たちを束縛しようとするものがあります。そのようなものから解き放たれるためには、堅く主に結び付けられなければなりません。
堅く主に結び付けられることを不自由と思う人がいます。主から解き放たれることこそ自由であると思う人がいます。しかしそれは自分の欲望や野心の奴隷になっているだけであり、不自由なのです。
どんなときにも主にある者は主のために生き主のために死ぬ自由をいただいています。