くりかえしわれらを自由にしてください

何が起ころうとそれはいずれも、信仰を通じてあなたが与えてくださった神に属す事柄から生じるものにちがいないのです。信仰はこの神に属す事柄に結びつくのです。・・・ただひとつ、み国がわれらのうち、われらのまわりに生長し、永遠の真理がたたえられるようになるということのために、くりかえしわれらを自由にしてください。

C.ブルームハルト、『夕べの祈り』、加藤常昭 訳、82f頁

〔イエスは言われた。「信仰が薄いからだ。はっきり言っておく。もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。あなたがたにできないことは何もない。」〕(マタイ17・20)

2018年4月8日(日)

自由とは、自分の好き勝手にするということではありません。自分の好き勝手にするということは、自分の欲望の奴隷になっているだけですから、それは放縦であって本当の自由ではありません。

本当の自由は、自分にとって、隣人にとって、そして世界にとって、善を行うこと、あるいは真理を行うことではないかと思います。真理こそ私たちを自由にします。

信仰者においては、神さまのご支配が自分のうちに、自分の周りに成長していくこと、あるいはすでに神さまのご支配があることを発見すること、が一つの大きな目標だと思います。そのために必要なことは自由になることだ、ということでしょう。この自由も、何ものにも縛られないということではなく、神さまのみに縛られるということで、実現することだと思います。

もちろんこの神さまが単純な一神教であれば、神さまの独裁に縛られるということになりますが、聖書の神さまは、三位一体においてご自身をあらわしてくださいました。創造神であり贖い主であり慰め主であるお方として、一人の神さまをあらわしてくださいました。それゆえ愛と義の神さまです。その神さまに捕らえられている中にこそ、真の自由があるのです。