全能の主なる神よ、あなたは全世界に目を注ぎ、われらは自分を取りまくいっさいの禍いを伴いつつもみまえにあります。
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われらを助け、あなたがわれらと共にあゆことを経験させ、み名のために、われらにおいてみことばを永遠に祝福してください。
C.ブルームハルト、『夕べの祈り』、加藤常昭 訳、50頁
〔わたしは主、あなたの神/海をかきたて、波を騒がせるもの/その御名は万軍の主。/わたしはあなたの口にわたしの言葉を入れ/わたしの手の陰であなたを覆う。わたしは天を延べ、地の基を据え/シオンよ、あなたはわたしの民、と言う。〕(イザヤ51・15,16)
2018年2月24日(土)
神さまのみ前にでるためには、さまざまな禍いを伴っていては、できないと考えがちですが、そうではありません。さまざまな禍いを伴いつつも、私たちは神さまの前にでることがゆるされています。あるいはさまざまな禍いがあるからこそ、神さまのみ前にでるのです。
神さまは私たちに目を注いでいてくださいます。また全世界に目を注いでいてくださいます。
私たちにおいてみことばを祝福してください、との祈りは少し謎です。
祝福されるとは、良い言葉が語られるという意味でしょう。みことばが祝福されるということは、私に語られている神さまの言葉が、良い言葉でありますように、という意味かもしれません。
自分にとって都合のよい言葉ではないかもしれませんが、本当に意味で自分を生かす良い言葉が語られること。神さまのおことばとは、そういう良い言葉です。そのために祈ることが、結局は私や世界の祝福となるのです。