われらが仕えるのはあなたであって

われらがどんなに取るに足らぬ者であっても、われらのことをおぼえてください。

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われらを保証し、われらを支えて正しい霊と感覚を保たせ、いっさいの正しからぬもの、よからぬものに抵抗することを得させてください。われらが仕えるのはあなたであって、この世ではないからです。

C.ブルームハルト、『夕べの祈り』、加藤常昭 訳、48頁

〔夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。キリストがそうなさったのは、言葉を伴う水の洗いによって、教会を清めて聖なるものとし、しみやしわやそのたぐいのものは何一つない、聖なる、汚れのない、栄光に輝く教会を御自分の前に立たせるためでした。〕(エフェソ5・25-27)

2018年2月21日(水)

「キリストがそうなさった」とは「キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになった」ということでしょう。

「言葉を伴う水の洗い」は洗礼と考えていいと思います。教会は受洗者の群れであるということでしょう。洗礼によって「聖なる、汚れのない、栄光に輝く教会」となりました。その教会を「御自分の前に立たせるため」に洗礼を授けてくださったということでしょう。

救われるということは、神さまの前に歩むものとなったということです。私たちはこの世に仕えるものではなく、神さまに仕えるものです。