愛のほほえみ

愛のほほえみ
2017年11月11日(土)


修道院の中には、もちろん仇はおりませんが、やはりここにも、自然に好きな人と嫌いな人がありまして、ある人の側には知らず知らずひきよせられ、ある人には回り路をしてでも会うことをさけたりいたします。・・・以前、何かにつけ事々に私が不快の感を抱かずにはいられなかったひとりの修道女がおりました。
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どうかこの自然の隔意に打克ちたい、そうだ愛はただ心に蔵(おさ)めておくばかりでは足らず、行為に表わさなければならないと思い付きましたので、私は全力を尽して、この姉妹を最愛の友を扱うように扱いはじめました。
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霊魂の名匠にいます主も、私がただその御手の業の外形ばかりを見ず、主が住居として選び給うた内なる聖所まで見透して、その美を誉め讃えたことを、たしかに嘉したもうたことと存じます。私にそのような自己抑制の機会を備えてくれた姉妹のため、ついにはただ祈るだけでは心足らず、私は彼女にできるだけの奉仕を献げ、また不愉快な返答をしそうになるときは、大急ぎでほほえみ、又談話の向(むき)をかえるように致しました。そしてついにこれら凡ての戦闘に勝利の日があけました。彼女は或日、真によろこばしげなほほえみを浮べて申しました。「テレジア童貞よ、私のうちに、何かあなたをそれほどひきつけるものがあるのでしょうか? まあ、おめにかかるごとに何ともいえぬ御親切なほほえみで迎えていただきますので・・・」。ああ、私の心をひきつけるもの、それは彼女の霊の奥ふかきところに住み給う主イエス、もっともにがきものを甘きにかえ給う主イエスでございます。


〔テレジア〕


『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
345頁

「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。」(第1コリント6・19)
「ただ、自分の敵を愛しなさい。彼らによくしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いはすばらしく、あなたがたは、いと高き方の子どもになれます。なぜなら、いと高き方は、恩知らずの悪人にも、あわれみ深いからです。」(ルカ6・35)

 愛することの大切さと難しさを思います。大きなことができませんが、神さまからの愛をいただいて出会う人を「親切なほほえみ」で迎える者になりたいと思います。愛するためには、相手の中にイエスさまがお住まいになっておられることを知り、そのイエスさまを相手の中に見続けるということが大切です。

 テレジアという名の修道女は無数におられるようです。このテレジアは1873年生まれ、1897年没、フランスに生きたカルメル会の修道女で、幼きイエスのテレジアと呼ばれる方です。この文章のもととなっている本は、城西教会の牧師で青山学院でも教鞭をとった宮城春江牧師の翻訳による『小さき花』から。

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