だがしかし、私どもが心配したからと言って何の役に立つのでしょうか。私どもがくよくよ悩んで何ができるのでしょうか。私どもが長々と心配し、思いめぐらし、苦悩し、憂いながらすべてのことをよく考えてみたところで結局そこに生まれてくるのは、私の前にあるデスクの上に現われていた、とんでもない姿のものでしかありません。
クリスティアン・スクリーヴァー
C・メラー、魂への配慮の歴史 7、116ページ
クリスティアン・スクリーヴァー(Christian Scriver)は、1629年にレンツブルクの貧しい商人の家の末っ子として生まれました。4度の結婚をしましたが、再婚の理由は妻が死去したということです。つまり3度妻を亡くしているのです。この4人の妻によって14人の子どもが与えられていますが、父スクリーヴァーの死後まで生き残ることができたのはわずか二人であったそうです。1693年に死去しました。
私たちはいろいろなことで心配します。心配とは心を配ると書きますので、決して否定的なことばかりではないと思います。しかしそれでもこのスクリーヴァーのことばは真実を言い当てているのではないでしょうか。「とんでもない姿のもの」しか生み出すことのできない「心配」であるならば、今すぐにストップして、主イエスさまの御手の中にお委ねしましょう。「心を騒がすな」(ヨハネ14:1) と言ってくださる主イエスさまにすべてをお委ねしましょう。委ねきった時にきっと新しい光が差し込んできます。
コメントを残す