「神を拝するは粗遠の見に非ざるなり。神親近に在しまして時に亦握手の恩寵を賜はる。父母の愛誠に然るなり。」
新井奥邃、『聖言』、212
「神さまを礼拝することは、遠く離れて仰ぎ見ることではない。神は親しくまじかにおられて、時に手を握ってくださる恵みを与えられることである。まさに父母の愛そのものである。」
旧約聖書において神は、遠く離れて仰ぎ見るだけのお方であり、もし人が神さまを見てしまうならば目がつぶれてしまうと信じられているほどに遠い存在である、と人びとは信じてしまっていました。確かに罪人である人間からすれば大変聖いお方ですが、旧約聖書においても決して遠く離れてしまっておられるお方ではありません。そのことを明らかにするために、すなわち近くにいて親しく導いてくださるお方であることを明らかにするために、神の御子イエスさまがこの地にお生まれになってくださいました。
ここに父の愛であると同時に母の愛そのものがあります。神さまの愛は父の愛であり母の愛なのです。
〔聖書の個所〕
これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。
(使徒17章27節)
生まれる前から、私はあなたに、ゆだねられました。母の胎内にいた時から、あなたは私の神です。どうか、遠く離れないでください。苦しみが近づいており、助ける者がいないのです。
(詩篇22編10~11節)
主は、天を押し曲げて降りて来られた。暗やみをその足の下にして。
(詩篇18編9節)
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