「実体ならざれば人なし。故に神を拝する者は、拝するに其実体を以てし、神に祈る者は祈るに其実体を以てし、神を愛する者は、愛するに其実体を以てして、神に事ふる者は之に事ふるに其実体を以てするなり。其所謂実体とは、霊之が主となりて、其身は其霊の指導の下に順事する者なり。此れ二而一なる和合体なり。」
新井奥邃、『聖言』、210
「実体がないならばそれは人ではない。よって神を礼拝する者は、その実体をもって礼拝する。神に祈る者はその実体をもって祈り、神を愛する者は、その実体をもって愛する。神に仕える者は、その実体をもって仕えるのである。そこでのいわゆる実体とは、霊が主となり、その肉体は、霊の指導のもとに、従順に仕える者である。この二つは一つである。」
礼拝、祈り、愛。これらは「からだ」をもって行わなければなりません。
信仰は精神的なことではありますが、はやり肉体を使ってのことが大切です。精神と肉体を切り離してはなりません。
〔聖書の個所〕
そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
(ローマ12章1節)
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