聖書の読み方

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グイゴによれば聖書本文を読む過程では四つの段階が区別されなければならない。

1、朗読(lectio)

2、黙想(meditatio)

3、祈り(oratio)

4、観想(comtemplatio)

マクグラス、『総説キリスト教』、107頁f

 「グイゴ」というのはカルトゥジオ修道会のグイゴ2世という方だそうです。12世紀ごろに生きた方ということです。

 聖書を読むといいましても読むだけでわかるのかというと、分かるということも出来るし分からないという言い方もできるのではないかと思います。しかしいわゆる知的に分かるか分からないかということではなく、聖書を読むことによって神さまに出会うということでは、読むだけで分かるということなのだと思います。

 まず知的に分かるかわからないかは横に置いておいて朗読をします。声に出して読むのです。そして静かに黙想します。いろいろな雑念が出てくるのではありますが、それでもとにかく心を静めてひたすら黙想します。そしてようやっと神さまに祈ります。神さまにお話をします。おはようございます、でもいいですし、今日もお守りください、でもいいでしょう。疲れました、でもいいし、どうしたらいいでしょう、でもよいのです。神さまにお話をします。

 四番目の観想が何だかわかったようなわからないような言葉ですが、「神さまを愛すること」ということだそうです。本当に聖書を読んだということは神さまを愛するということに置いて起こりうるということでしょう。神さまを愛することなくしていくら知的に「わかった」ということであってもそれは聖書を分かったことではないのです。逆に神さまを愛するということがあるならば聖書を分かるというところに立たせていただいているのです。

コメント

“聖書の読み方” への3件のフィードバック

  1. 山下 寛のアバター

    おじゃまいたします。

    田中先生、ごぶさたしています。

    ちなみに、この聖書の読み方は、修道院の伝統にのっとっていると思いますが、
    かつて修道師であったルターは、最後を変えて、
    黙想(meditaio でもルターの黙想は、聖書を歌う)、祈り(oratio)、で、最後は試練(tentatio=temptaio)
    で聖書を読むと言っています。
    観想を試練に変えたところにルターのルターたるところがあるように思います。

    では、またコメントします。
    うち(東垂水ルーテル教会に今はいます)のブログにも来てください。
    主の平和。

  2. 田中隆裕のアバター

    山下先生へ

    コメントありがとうございました。
    (メールで感謝のお返事をとお送りしたのですが、できなかったようで、コメントにコメントします。メールアドレスをご確認いただけると感謝です。)
    今までコメントいただいたのは、自分を除くと東近江の植木さんだけでしたので、
    大感動です。(笑)
    今後ともよろしくお願いします。

    また良い本がありましたらご紹介下さい。
    マクグラスはどうしても読まなければならないと自分に言い聞かせて読んでいる
    ところがありますが、
    最近は、C・メラーを読む時間が増えました。
    相変わらず乱読で、藤沢周平にも凝っています。

    祝福を祈りつつ。

  3. 山下 寛のアバター

    田中先生

    ありがとうございます。
    植木さんがブログに先生のブログについてふれておられたので、訪問することとなりました。
    今、アドレスを見ましたが、正しいようなのですが??どうしてなんでしょうね??
    マクグラスは、彼の編の資料集をちらちら見たくらいです。歴史・信仰の先輩に学ぶことは、大切なことですね。
    メラーといえば、今、説教塾 編の「説教の喜び」を読んでいます。

    主の平和

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