教会の存在

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〔教会はイエス・キリストの共同体〕

2015年10月10日(土)

教会の存在は、多くの人びとにより三位一体の神の御名によってさまざまな時代に受けられた「洗礼」が、神の好意に与って受け入れられ、従って全世界に対して神の事柄に責任を負ったということを、人びとすべてに本当に思い起こさせる事件です。教会の存在は、これら多くの人びとが、真にこぞって「聖餐」のパンと杯を受けて、先取りしつつ将来の啓示の力と喜びに参加し、従って永遠の命へと共同して啓発教化することが許される出来事です。
・・・
大切なのは、教会自身が世の只中にありながら、世から区別され、世にはそのことで、特定の方向では不快になることが避けられない出来事です。

カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、542f。

教会は、「教える」「会」と書きますので、何か宗教的なことを教えるところ、それを勉強するところという感じがします。しかし教会と訳されている言葉は「エクレシア」つまり「神さまによって召し出された者たちの集まり」ということですから、教え学ぶところでありつつもそれ以上の意味を持っています。

教会は何よりも、洗礼と聖餐が行われるところです。それによって神さまを証しするところです。その証しは、必ずしもこの世に受け入れられることばかりではないにしても、ひたすらその証しに生きるところです。

今日もイエスさまに生かされていることを喜び、感謝しましょう。

(祈り)
神さま、洗礼と聖餐を感謝します。

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