「一小子をも誤る勿れ。神其中に在せばなり。故に其子女を愛すると雖も必ず之を私抱する勿れ。」
新井奥邃、『聖言』、59
「ひとりの子どもであったとしても間違った方向に導いてはいけない。神さまがその子どもの中におられるのである。ゆえにその子どもを愛するといえども、まるで自分のもののように自分の手の中に抱え込んでしまうようなことは決してしてはならない。」
一人ひとりの中に神さまがおられます。あるいは一人ひとりは神さまがその御手のなかにおいていてくださいます。一人ひとりは神さまのものです。愛するということは、自分の所有物にすることではありません。神さまが導いてくださることに委ねていくことです。そうしてその子ども自身の中にある生きる力が成長していくことを祈り願い、必要であれば手を差し伸べていくこと、必要以上には手を差し伸べないこと。それが愛することです。
〔聖書の個所〕
さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちは彼らをしかった。イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。
(マルコ10章13~14節)
イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、その百倍を受けない者はありません。今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠のいのちを受けます。
(マルコ10章29~30節)
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