「夫れ神聖の苦は求めずして至る。蓋し此の苦は此の人に於て使命の在る所なればなり。此の苦や大愛の由りて以て生まるる所。」
新井奥邃、『聖言』、50
「神さまから来る聖なる苦しみは求めなくてもやってくる。おもうに、そのような苦しみは、その人の立っているところが使命の存在するところだからである。その苦しみは大きな愛をその理由として生まれている。」
苦しみや試練というものは、わざわざ求めなくても、すでに神さまから与えられています。あるいはこちらから求めようとしなくても、必ずやってくるものです。そうして与えられる苦しみというものは、「使命」ということと深くかかわっています。苦しんでいるということは、使命をいただいているということなのです。そのような使命は、大きな愛、神さまの愛と、また深くかかわっています。愛がなければ、使命もなかったでしょう。使命がなければ、苦しむこともなかったでしょう。
神さまの愛と深くかかわっているのならば、その苦しみは必ず乗り越えることができます。乗り越えるだけではなく、人生に深い意味をもたらします。
〔聖書の個所〕
神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。もし私たちが苦しみに会うなら、それはあなたがたの慰めと救いのためです。もし私たちが慰めを受けるなら、それもあなたがたの慰めのためで、その慰めは、私たちが受けている苦難と同じ苦難に耐え抜く力をあなたがたに与えるのです。
(第2コリント1章4~6節)
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