「謙の訓は愛の喚起の慶音なり。其の音や常に低し。恰も静かなる春風の如し。此れ温柔なる小者の心に聴かるるの容易なるも、世の智者と達者に感ずる極めて難し。」

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「謙の訓は愛の喚起の慶音なり。其の音や常に低し。恰も静かなる春風の如し。此れ温柔なる小者の心に聴かるるの容易なるも、世の智者と達者に感ずる極めて難し。」

新井奥邃、『聖言』、24

「謙遜の教えは、愛を呼び起こす喜びのおとずれである。その音は常に低く流れている。あたかも静かに吹く春の風のようである。これは穏やかで素直な身を低くする者の心には容易に聞こえてくる。しかしこの世のいわゆる賢い人や物事に熟知していると思っている人が感じるのは大変難しいことである。」

 謙遜に生きることは、愛に生きることであり、喜びに生きることです。しかしこの音は低いところに流れているので、身を低くする者にしか聞こえません。幼子のようになってはじめて聞こえてくるのです。
 賢いと思っている時や物事に熟知していると思っている時には、なかなか聞こえてこないのです。そうして愛や喜びに生きることができません。
 幼子のようになって、愛と喜びに生きる者となりましょう。

〔聖書の個所〕

そのとき、弟子たちがイエスのところに来て言った。「それでは、天の御国では、だれが一番偉いのでしょうか。」そこで、イエスは小さい子どもを呼び寄せ、彼らの真中に立たせて、言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、はいれません。だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。また、だれでも、このような子どものひとりを、わたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。
(マタイ18章1~5節)

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