恵みの選びは啓示の真理である

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〔神の恵みの選び〕

2015年6月8日(月)

神の恵みの選びは啓示の真理です。
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新約聖書にならって言いますと、私たちはまさに「御子において」、キリストにおいて選ばれており、従って私たちは私たちの選びをまさに「御子において」のみ認識しなければなりません。
「キリストにおいて選ばれて」―その意味は明らかに第一に、私たち自身においてではないということです。このことを正当にも強調したのはカルヴァンでした。恵みそのものも、私たちの召命、正当化、聖化はむろん私たち自身のうちに生じるのではなく、私たちの業としてではなく、私たちのために私たちに向けてイエス・キリストの御業として行われます。
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この「キリストにおいて」そのものの前では、もしそれがその影響力において私たち自身の決定の限界として理解されているなら、予定説の理性的並びに経験的な基礎付けは沈黙せざるをえません。予定説が思考の必然性、あるいは経験対象であるならば、その時にはやはり私たち自身が自らの理解力と判断で、本当に最終的に選ぶ者であるでしょう。

カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、335ff。

私が選んだのではなく、神さまが私を選んでくださったということ。それがキリスト教信仰の土台にあります。ですからこの信仰は岩の上に建てられた家のように揺るぐことがありません。
この真理は「啓示」によって明らかにされます。私たち自らの理解力と判断で、理解したというのではありません。
神さまの一方的な恵み、愛によって神さまを知る者とされたということは、啓示によって明らかにされたこと。これ以外の事であるならば、それは神さまの真の恵みではありません。
ただひたすら神さまの恵みによって、すなわち啓示によって神さまを礼拝する者としていただいたことを感謝します。

(祈り)
神さま、あなたの啓示の恵みを感謝します。

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