〔神の恵みの選び〕
2015年6月6日(土)
人間はいったい恵みを、神の恵みを「受ける」状況にあるでしょうか。人は生まれつきまさに恵みに逆らう争いの中にいるではありませんか。人は生まれつき過ちを犯そうとする、つまり神の恵みによって生きようとはしない。これこそ人の苦境であり、恵みは人をこの苦境からまず解放しなければならないでしょう。
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私たちの肉があるがままにあり続けるか、あるいは過剰なまでになおも敬虔な肉となるのか、どちらかでしょうか。
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恵みが私たちに差し出されていると認めざるをえないとすれば、与えられることから受け取ることへ、ただ受け取ることからいただくことへ、言葉から信仰へ、恵みから恵みにあって生きることへと、何という測りがたい歩みが彼らにとってもなされることでしょうか。カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、332f。
生まれつきの罪人である私たちは、神さまの恵みを素直に受け取ることができません。神さまの恵みのみ手を拒否して、罪の中に生き続けるか、または、神さまの恵みのみ手を拒否して、自分の力で経験に生きようとするか、どちからです。いずれも神さまの恵みを拒否して生きる姿であり、そのような生き方には、神さまを愛し、自分を愛し、隣人を愛する健やかな人生は築かれていきません。
私たちはただ素直に神さまの恵みをいただきましょう。
(祈り)
神さま、あなたの恵みを感謝します。
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