「主は人がその友と語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られた」。 出エジプト記33章11節

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〔啓示と宗教〕

2015年5月23日(土)

むしろ通り過ぎることにおいて(従って明らかにモーセが請い求めて叶えられた、同行が始まり、神がモーセと民を事実先導することで)神はモーセを岩の裂け目に入れ、その手を彼の上にかざすのです。ついにモーセは神を背後からのみ(従ってあの通り過ぎることと同行することと先導することが進行中です)見ることができます。そのようにしてのみモーセは神の栄光を見ることができ、見よと命じられます。そのように神はモーセと「人がその友と語るように、顔と顔を合わせて」語られます。
・・・
神は、自らを約束に応じて、モーセを実際に受け入れるという点だけでなく、それを、自分の被造物であるモーセに相応しくなされます、神は御業のしるしを通じてモーセと語られるということにおいても憐れみを示されます。

カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、300f。

神さまは、私たちを憐れんでくださるお方です。
私たちを受け入れてくださることによって、その憐れみを示してくださいます。
さらに、私たちに語りかけてくださることによって、憐れみを示してくださいます。

本来なら罪人である私たちは神さまに受け入れられるものではありませんでした。
また語りかけられるようなものではありませんでした。
しかしそれを神さまのほうが乗り越えてくださり、私たちを受け入れ、私たちに語りかけてくださったのです。

それがキリストの十字架と復活の御業です。十字架の言葉をもって語りかけてくださいました。十字架の言葉は、救いを受ける私たちには神さまの力です。

(祈り)
神さま、受け入れてくださり、語りかけてくださることを感謝します。あなたの憐れみを受け止めることができるように信仰を与えてください。

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