〔世に抗して〕
2015年2月9日(月)キリスト者たちの道は、何といっても世の常の道ではありえません。キリスト者は自分の道を行かなければならず、それゆえに考え、言い、主張することでは、常に、人びとがさまざまな観点で不快の念を持たざるをえないであろうよそ者であるでしょう。
キリスト者はある一方の人々にはあまりに禁欲的だと見られ、また別な人にはあまりにも暢気な楽天家と見られるでしょう―個人主義者とされるかと思えば、他方では集団主義者として、ここでは権威に盲従するものとして、あちらでは自由主義者として、ここでは楽天主義者としてあちらでは悲観主義者として、ここではブルジョアあちらではアナーキストと見られるでしょう。
カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、95ff。
イエスさまとともにこの世を歩もうとすると、いろいろな戦いがあります。
キリスト者はこの世にあってはよそ者であり寄留者なのです。
この世にあってイエスさまの喜ばれる道を歩もうとすると、狼に命をねらわれる羊のように、戦いにさらされます。非難されたり、拒絶されたり、いわれのない(ときにいわれのある)中傷や断絶にもさらされます。しかしそれはキリスト者であることの証拠です。
非難、拒絶、中傷、断絶に出会う時、いたずらに自分自身を責める必要はありません。イエスさまのその道を歩まれたのです。その時の悲しみや痛みを、イエスさまはよくご存知です。
(祈り)
神さま、あなたの十字架の苦しみを覚えさせてください。
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