〔イエスの誘惑〕
2015年1月19日(月)
イエスは、他のすべての人びとの名において彼らの立場で一人の偉大な罪人として、このような栄光への見こみもなく、まったく成果もなく、実に失敗は確かだと予想を抱きながら、神を拝むこと、神だけに仕えることにあくまで誠実であろうとされた。贖罪を、つまり従順をしっかり守ろうとされた。それはイエスが、私たちのために果された正義でした。
カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、54f。
サタンはイエスさまを誘惑します。もし自分(サタン)を拝むなら、この世のすべてはあなたのものになる、と。
この世の支配者であるサタンからの誘惑は、この世での名誉欲、財産欲、支配欲を満足させるものです。
しかしイエスさまはその誘惑を退け、ただ神さまを拝む道、そしてそれはこの世的には失敗者とみられてしまう道を選択されました。
このイエスさまの選択によって贖罪の道が開かれ、完成されました。
それにしても、この世の支配者はサタンなのでしょうか。本当は神さまご自身がこの世の支配者なのではないでしょうか。
だからそもそもこのサタンの言葉の中にすでに偽りがあるのです。
神さまだけを拝む道は、この世にあっても、まことに祝福をもたらす道なのです。
(祈り)
神さま、あなただけを拝む者としてください。
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