2014年1月15日(水)
キリストが舟の中にいるところでは、いつも嵐が吹きはじめる。そのところでは、この世が悪の力をつくしてこのキリストを捕えようとし、弟子たちもろとも亡きものにしようとする。
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しかしキリスト者、自分といっしょに舟の中にいて、やがて立ち上がり、<海よ、静まれ>と命令することのできる方をいつも仰ぐであろう。
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われわれはただ彼にやっと呼びかけるだけである。<主よ、お助けください。私たちは死にそうです>と呼ぶことができるだけなのである。これは確かに恐れにほかならないものだ。しかしこれは恐れの中にある信仰である。そしてこの叫びは助けのやって来る唯一の場所を知っているのだ。
ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、28頁f。
この世にあるキリスト者には嵐があります。戦いがあります。しかしイエスさまが共にいて下さいます。私たちはただイエスさまを仰いで助けてくださいと叫ぶことしかできません。叫ぶことしかできないけれども、そこに信仰があります。イエスさまなら何とかしてくださるに違いないと信じる信仰があります。
イエスさまは私のために十字架にかかりまたよみがえってくださいました。
イエスさまなら何とかしてくださるに違いありません。
きょうもこのまことの神でありまことの人となってくださったイエスさまを見上げ、イエスさまに助けてくださいと叫びつつ歩んでいきたいと思います。
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