2014年1月14日(火)
われわれはこの言葉から、弟子たちに対するイエス・キリストの完全な失望と完全な愛との両方を聞き取らなければならない。
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自分自身の事となるととても巨大で限りなく重大に思われるのに、他人の事となるとまったく鈍感になるのである。これはわれわれの中にある恐れがそうさせるのだ。
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神の前ではわれわれの最大の心配事といえども、両親の前での小さい子供の心配事のようでしかないという信仰、
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<信仰の薄い者たちよ、なぜそんなにこわがるのか。嵐のただ中でも、キリストが舟の中にいる>。
ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、27頁f。
私たちの中にある恐れが、自分の心配事を大きく見せ、他人の心配事を小さくさせている、と語ります。隣人の心配事をしっかりと受け止めることができない、すなわち隣人を愛せないのは、私の中にある恐れである、というのです。恐れを取り除くためには信仰が必要です。神さまに信仰を与えていただかなければなりません。その信仰とは嵐のただ中でもイエスさまが舟の中にいて下さる、という信仰です。
どのような事態の中でもイエスさまは共にいて下さいます。
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